今更なぜ、ビアズレーなのかとお思いでしょうが、アール・ヌボーがマイブームなんです。日本で知られているアールヌーボーは、どこかエロスが欠けているように思えるので、少しずつ外国の本も見てみようと思ったのが今回のビアズレーにつながった。



『Best Works of Aubrey Beardsley』(Dover.1990)

どちらかというとあまり日本では紹介されていない、ポピュラーではない絵を見たい。



『Best Works of Aubrey Beardsley』(Dover.1990)
ビアズレーの挿絵は、余白を大胆に取っているところに特徴がある。それと白と黒とのコントラストの配分のうまさが際立っている。繊細な線での表現と、塗りつぶした面とで構成され、中間調を使わず立体感を現すための陰影を排除したことも大きな特徴だ。



『Best Works of Aubrey Beardsley』(Dover.1990)これは、ビアズレーの作品中でも、お気に入りの1枚だ。グロテスクなほどに大胆なデフォルメとユーモアとが何とも魅力的だ。更にエロスが加わってくれれば最高なんだがね。この絵を見る限り、デブは絵になるし、デブは美しい。デブは存在そのものにユーモアがある。


グラフィックに関して言えばアール・ヌーボーにもいろいろあって、イギリスのアールヌーボーヨーロッパ大陸アール・ヌーボーでは、大きな違いがある。大ざっぱに言うと、イギリスはビアズレーで、ヨーロッパ大陸ミュシャがそれぞれの代表格と思えば、その違いが明確に見えてくると思う。



画:ビアズレー「ランピトの化粧」



画:ビアズレー「キネシア、ミリーナに情交懇願」



画:ビアズレー「苦悶する女性市民」


やはり、こうでないとね。人気の秘密の一端はこの辺にある筈だ。これでは、下記に示したように風俗壊乱罪のある日本での公開は難しそうだ。とにかくヌードそのものが禁止されていて、黒田清輝の湯上がりの女性の裸体画「朝妝」は、展覧会場で、布をかぶせられてしまったというのだから、上記のような絵が表立って紹介されるわけがない。


●1869(明治2)…東京府で市中の風俗矯正の町触れを出し,また,卑猥の絵や見世物などの興行,男女混浴などを禁止(2月)
新聞印行条例・出版条例発布,初めて風俗壊乱記事の禁止が定められる(「妄リニ教法ヲ説キ,人罪ヲ誣告シ政務ノ機密ヲ洩ラシ,或ハ誹謗シ,及ビ淫蕩ヲ導クコトヲ記載スル者軽重ニ随ッテ罪ヲ課ス」)(5月)
●1880(明治13)…新聞紙条例「改正」,「国安妨害」だけでなく「風俗壊乱」も発行停止・禁止の対象に(10月)
●1900(M33)…雑誌『明星』,裸体画掲載のため発禁に(1895年の京都内国勧業博覧会での「裸体人形」への陸羯南の『日本』紙上での攻撃などが前史; 風俗壊乱の罪で起訴された後藤宙外等は無罪判決を受ける; 風俗壊乱罪=「猥褻ノ文書,図画其他ノ物ヲ頒布若クハ販売シ又ハ公然之ゾ陳列シタル者ハ二年以下ノ懲役又ハ五千円以下ノ罰金若クハ科料ニ処ス」)


アール・ヌーボー
 19世紀後半の西欧美術には、浮世絵版画を中心とする日本美術の影響で日本趣味(ジャポネズリ)といわれる流行が生まれる。それは単に主題やモチーフについて見られるというだけではなく、画面構成や色面処理の方法などといった造形上の問題にまで及んだ。
 こうした日本趣味の流行を受けて、1890年代の半ばから1910年頃にかけて、工芸やグラフィック・デザイン、建築の分野を中心に、全欧的な規模で展開したのが、いわゆるアール・ヌーボー「新しい美術(アール・ヌーボーという語の本意)」である。様式的には、有機的な曲線の多用、大胆な平面構成、輪郭線の多用、平面性の強調、病的な色彩感覚などといったアール・ヌーボー独特の造形的特徴を有し、しかも装飾的、象徴的、唯美的な表現内容を特徴としてあげられる。
 日本にアール・ヌーボーがもたらされたのは1900年頃、黒田清輝や浅井忠らによってほぼヨーロッパと同時代的に紹介されていたと言える。