8日所沢の古書市で、川内彩友美編『決定版まんが日本昔ばなし100 ①』(講談社、昭和59年)を350円で購入した。あまりに安いのにも驚いたが、「ももたろう」が入っていなかったのには、さらに大きなショックを受けた。もっとも、後で調べたらこの本は、全3巻だったようなので他の巻に入っているかも知れないのだが、まだそこまでは調べがついていない。



川内彩友美編『決定版まんが日本昔ばなし100 ①』(講談社、昭和59年)


「この桃太郎外しには何か理由があるはずだ」と、勝手に大げさに考えてしまい、色々と詮索を始めた。そんな詮索をゆるすくらいに、「ももたろう」は、わけありの話なのだ。


そんな思いで、最初に読んだのは、芥川龍之介「桃太郎」(『サンデー毎日1924年7月1日)。この話は、著作権が切れているので、青空文庫
http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/100_15253.html
で読むことが出来る。


関口安義『世界文学としての芥川龍之介』を読むと、さらに、この芥川版「桃太郎」への興味は深まる。芥川は、侵略者桃太郎(日本人)という視点を持って書いていた、という指摘がされているからである。


鬼は悪者ではなく、突然桃太郎が侵略してきたのであり、芥川は、章炳麟「予の最も嫌悪する日本人は鬼が島を征伐した桃太郎である」という言葉を噛みしめて桃太郎噺を書いた、という。
(世界文学としての芥川龍之介 - Google ブック検索結果)で、この関口安義『世界文学としての芥川龍之介』も、一部分ですが読むことが出来る。


ウィキペディア - 桃太郎をみると
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%83%E5%A4%AA%E9%83%8E
福沢諭吉は『ひゞのをしへ』の中で、次のように桃太郎を非難している。
「もゝたろふが、おにがしまにゆきしは、たからをとりにゆくといへり。けしからぬことならずや。たからは、おにのだいじにして、しまいおきしものにて、たからのぬしはおになり。ぬしあるたからを、わけもなく、とりにゆくとは、もゝたろふは、ぬすびとゝもいふべき、わるものなり。」



(桃太郎が鬼ヶ島に行ったのは宝を獲りに行くためだ。けしからん事ではないか。宝は鬼が大事にして、しまっておいた物で、宝の持ち主は鬼である。持ち主のある宝を理由もなく獲りに行くとは、桃太郎は盗人と言うべき悪者である。)
と、あの「天ハ人ノ上ニ人ヲ造ラズ人ノ下二人ヲ造ラズト云ヘリ」の福沢諭吉が桃太郎を悪者だと非難している。



更にウィキペディア - 桃太郎には、
太平洋戦争の際には桃太郎は軍国主義という思想を背景に、勇敢さの比喩として語られていた。この場合桃太郎は「鬼畜米英」という鬼を成敗する子としてスローガンに利用された。戦時中には孝行・正義・仁如・尚武・明朗などの修身の徳を体現した国民的英雄として、大正期の童心主義では童心の子として、プロレタリア主義では階級の子、また戦後になると民主主義の先駆として語られる。(野村純一他編 『昔話・伝説小事典』 みずうみ書房、1987年、254-255頁)


などとあり、ますます、わたしの単純な誤解から始まったと思われる、『まんが日本昔ばなし100』の「ももたろう」外し詮索は、思いもよらぬ方向へと進み始め、深みにはまり始めた。