2010-08-16から1日間の記事一覧

「長谷川伸の仕事は昭和十一年から二年へかけての『荒木又右衛門』によって、大きく前期と後期にわけることができる。前期の作品には股旅ものに代表されるような義理人情を描いたものが少くなく、とくに『一本刀土俵入』『沓掛時次郎』『瞼の母』などの戯曲は長谷川伸の名を不朽のものとした。

実際に『股旅もの』の名称が普及するのは、昭和四年三月に『改造』誌上に発表した『股旅草鞋』からで、長谷川伸が『股旅もの』の開祖とみられるのも当然なことであろう。」 「しかし、彼はけっして封建的なモラルである義理人情を称揚したわけではなかった。…

「瞼の母」は、長谷川伸自らの境遇に重ねて書いた

もの 「主人公の忠太郎は、五歳の時に実母と別れ、思いでの中に生きる母の像を瞼のうちに描きながら、やくざ渡世の深間に陥ちこんでゆく。賭博なかまに加わるようになったのも、母を思慕するこころを抑えきれず、その感情をまぎらすためだったといえる。この…