2010-08-04から1日間の記事一覧

「ある日、文藝春秋社の雑誌『オール読物』の編集長、香西昇君が、たずねてきた。玄関で、彼の気の毒そうな顔色をみただけで、何もきかないうちに、その用向きがわかった。まっ正直な香西君なのである。『オール読物』の表紙の仕事は、私が、かなり力をいれて描いていたものだった。が、それを、他の人に替えるというのが、訪問の目的だった。」(『わが半生の記』)

「実はさし絵の仕事を、よそうかと思ったこともあった。……『蛇姫様』その他、華麗な絵を描いて、ものの役に立たない絵かきのごとく扱われた口惜しさに、無理とはしりつつも兵隊の絵を描いて、戦争末期の昭和二十年には、陸軍報道部の命令で、『神風特攻隊吉…

大正10年、鏑木清方を崇拝する画家志望の石版印刷の下絵描きをしている岩田専太郎20歳と、鷗外の作風に夢をのせ舞姫や高瀬舟の文章は暗記しているという大勢新聞に勤める文学志望の川口松太郎22歳は、いつの間にか知り合いになり、飯屋のテーブルで「浅草公園のうしろの、大溝の前の飯屋の床几に腰を下し、飯と汁のどんぶりを前に並べて、『偉くなりたいなあ』と嘆き合うのが殆ど毎日であった。……『俺の小説が売れて、お前の画が挿画に使われればいいな』空想の最後はそんな現実に落ちてくる。」(川口松太郎『飯と汁』講談社、昭和35年)

岩田専太郎:画、川口松太郎「蛇姫様」(東京日日・大阪毎日新聞、昭和14〜15年) 岩田専太郎:画、川口松太郎「蛇姫様」(東京日日・大阪毎日新聞、昭和14〜15年) 岩田専太郎:画、川口松太郎「蛇姫様」(東京日日・大阪毎日新聞、昭和14〜15年) 岩田専太…

川口松太郎の岩田専太郎ヘの思いやりがさし絵の傑作を生んだ

山田宗睦は東京日日新聞に掲載された「蛇姫様」を見て「挿絵は岩田専太郎。華麗な作風は、その後その華麗さによってときに嫌うこともあったけれど『蛇姫様』の挿絵は、たぶん専太郎一代の挿絵史の中でももっとも艶麗であった。流れるような描線の艶冶さと、…