大同出版が誠文堂から版権委譲を受けて刊行した本はまだ見つからないが、これが元本とおもわれる誠文堂『是丈は心得おくべし』



新書判260頁、針金平綴じの粗末な本だが、この本が爆発的に売れたという。「是丈シリーズ」は全16巻あり、総数120万部も売れたという。今回入手した加藤美侖『演説座談洒落滑稽』(誠文堂、大正12年4月)も初版発行の大正10年から26ヶ月で第20版なので、ほぼ毎月のように増刷していたことになる。まさに大ヒットである。


このような本がシリーズで16冊も発行されていたのだから、小川菊松が「売れるは売れるは幾ら刷っても刷り足りぬ。遂には前後百二十万部を売り誠文堂後日の発展の大基礎となったものである。」(出版興亡五十年)と、小川が豪語するのも無理はない。


この企画が、持ち込み原稿だったというのだから笑いが止まらないだろう。小川は当時のことを
「忘れもせぬ、大正七年十一月五日のこと。上下黒羽二重の着物に仙台平の袴を穿き、長髪を丁寧に櫛った一見大明神のお札売か、大本教の幹部とでもいつた風采の人が、突然店先に尋ねて私に面会を求めた。中々眉目秀麗で、而も堂々として、一と癖も二た癖もありそうな人体。要件を聞くと『処世禁物百ケ條』という篇稿を懐から取り出して、一つ出版してくれというのである。


名刺を見ると加藤美侖氏。名もきかぬ未知の人であったが、ザッと目を通すと中々面白い。これは売れるナと直感したので、即座に原稿料六十円也で引き受けた。が、この書名では売れぬと思って、色々考えた末、平凡社社長の下中彌三郎氏の『や、これは便利だ』から思いついて、『社交要訣━是丈は心得おくべし』とし、著者の加藤氏に相談すると固より異論はない。


この種の類書には、中西屋の『ドント』。至誠堂の『勿れ』等があり、当時何れも相当売れたものであるが、『是丈は心得おくべし』は、忽ち四版五版と発行して、段違いの売れ行きを示した。」(前掲)と、加藤が突然、幸運の原稿をもって店先に現れたという。


その後、小川はシリーズとして16冊も矢継ぎ早に書いたが
加藤美侖氏とは、共によく飲みよく遊んだが、その方もむしろ私の師匠格であり、悪友であった。ある時は、事業上のことで衝突したこともあったが、後日『子供の科学』の原田三夫氏や、一氏義良、神代種亮等をはじめいろいろな著者や画家にも紹介してくれて、誠文堂に取っては大切な人であったが、昭和二年四月廿五日。春秋酣なる三十八歳を以て夭折されたのは痛惜の至りである。」と、加藤はベストセラーを書き続けながら、絶頂期に亡くなってしまった。


この『是丈は心得おくべし』の版を購入して発行したというのだが、大同出版で発行された『是丈は心得おくべし』は、実物はもちろんのこと出版データもまだ見つからない。ただし、タイトルは違うが『これ丈は知らねばならぬ』は、シリーズとして発行されているが、執筆陣の中に加藤美侖の名前は見つからない。