写植機の苦難

写植機は1924年に石井茂吉と森沢信夫によって発明され、世界で初めて日本で実用化された。1929年には写植機の実用機が共同印刷凸版印刷、日進印刷、秀英舎(現在の大日 本印刷)、精版印刷などに納入された。しかしこの画期的な写植組版も、1955年頃までは文字印刷の分野では歓迎されずなかなか普及しなかった。オフセットの刷り色がグレー色に見え、加えて写植書体が細く弱々しいため 紙面が薄く見えて、可読性を損ねるという理由で敬遠されたのだ。