ネットで購入した名取春仙:装丁、石川啄木『一握の砂』と、鴨下晁湖:装丁・挿絵、渋沢青花『浅草っ子』が届いた。



名取春仙:装丁、石川啄木『一握の砂』(東雲堂、明治43年、復刻版)
 今でこそ評価されているが、まだ浮世絵や日本画系の画家が主流だった明治期に、この表紙の絵はモダンすぎて何が描かれているのかさえ理解してもらえなかったのではないだろうか。まして一般には迎え入れられなかったと思われる。この本には装丁家の名前がどこにも記されていない。それなのにこの本の装丁が春仙だということは以前から知っていた。何かで読んだのかも知れないが、春仙が装丁したということをどこから仕入れた情報だったのか、確かな情報として知りたくなって資料を漁ってみた。


さっそく最初に手にした資料『名取春仙』(櫛形町立春仙美術館、平成14年)に、下記のような春仙の「一握の砂」の装丁に関する聞き書き記事が記載されており、その答えを見つけることが出来た。


「装幀と言えば石川啄木の京橋東雲堂から出した処女出版の『一握の砂』をやつたのも私です。私が社にいた時には、啄木も校正係でいた訳ですが、よく知らなかった。啄木に西村という歌友があつて、啄木が本を出す事になつたから、装幀をやつてくれないかと頼まれたので、兎も角会ってみようというので、啄木が私のいた海雲寺へやってきた。見ると白絣の浴衣に古いセルの袴をはき、カンカン帽を被つた痩せたみすぼらしい青年だったので、恐らく自費出版だろうと思って、装幀料はどうでもいいと言って、無料で引き受けた、


そしてゲラをみると、今までのものとは全然違う内容で、これはと思つたが、併しそれでも当時の私としては、これは異端者として扱われるべきもので、今言われるような文学的な価値の高いものとは思つていなかつた。そしてその歌の調子に合わせて、海辺の人物いない砂丘と雲を画いた装幀をやつた。この時『朝日にいる石川です』と言われてよく見たら、そう言へば社内で見覚えのある顔だつたと思つた程でした。 名取春僊談
(昭和24年十一月廿九日 於社史編修室『朝日人回想録(二)』所蔵」
と、春仙自身が言葉にして残しておいてくれた。

鴨下晁湖:装丁・挿絵、渋沢青花『浅草っ子』(造形社、昭和55年増補改訂版)は、昭和41年に毎日新聞社から刊行されたものの増補版。大正中頃に「日本少年」の主筆であった青花が、十代の頃に体験した浅草を中心とした回想録だ。晁湖が描いた挿絵が15点が挿入されているが、浅草を愛しむ優しさに溢れていて和まされる。晁湖の代表作となる66歳の時に描いた血しぶき飛び散る柴田錬三郎「眠狂四郎無頼控」(「週刊新潮」、昭和31年5月8日号〜)の挿絵とはまた違った、晁湖の心温かなタッチで明治期の浅草の風俗を今に伝えるいい挿絵だ。



鴨下晁湖:装丁・挿絵、渋沢青花『浅草っ子』(造形社、昭和55年増補改訂版)



鴨下晁湖:画、渋沢青花『浅草っ子』(造形社、昭和55年増補改訂版)



鴨下晁湖:画、柴田錬三郎眠狂四郎無頼控」(「週刊新潮」、昭和31年5月8日号〜)