齋藤昌三自身が「装幀漫評」『小雨荘随筆 紙魚部隊』(書物展望社、昭和13年8月20日)に、ゲテ本創作にかかわっていった動機を語っているので、引用してみよう。



齋藤昌三『小雨荘随筆 紙魚部隊』(書物展望社昭和13年8月20日


「活版術の普及と共に洋風装幀の渡来してから既に六十年にもなるが、他の文化事業の発展に比較して、造本術は果たして向上してゐるのだろうか。實は大震災後の文獻振興熱に煽られて、圓本亂出となつてからは、造本技術は結局退歩したとも云へやう。それだけ業者各人の良心は失はれて、能率一點張りの拙速主義に走つたのであった。
その反動として豪華版とか限定版とかいふ名称のもとに、特殊の出現を見たのであるがそれもこの五六年で大體に一般化して、出版会の関心はやがて常識となり、現今では一時ほど目立った世評は無くなつたの感がある。


筆者も材料の點で、注意さへ怠らねば身邊に無尽蔵にころがつてゐるなどと、柄にもなくかき立てたこともあり、一方事實的に酒の袋や白樺皮や、キルクから竹、古番傘から漆と試作的な発表をして、下手もの装幀を紹介したこともあつたが、それが好奇心をかつたものか杉皮や南京袋のものなど飛び出して苦笑の種を蒔いたこともつい作今であった。
一方には恩地孝四郎氏の如き、畫家で詩人を兼ねた装幀家が出て、最も感覺的な純洋裝本を示されてゐることは、出版界や裝幀界に力強さと光明を與へ、下手本に對する上手本の上乗味を発揮してゐる。」


と、拙速(*仕上がりはへたでも、やり方が早いこと)主義による造本を批判し、豪華版や限定版が誕生し、斉藤自身も様々なゲテもの装幀を作るようになり、更なるブームを煽った、と言うのが経緯のようだ。


斎藤は、ゲテ本の正当性を主張するかのように、同様の円本全集の造本を批判する内容の文章を繰り返し書いており、円本全集の造本が安かろう悪かろうになってしまったことへの反動としてゲテ本作りを始めたものと思われる。
「園本の流行は読者層の開拓には嘗てない貢献はあったが、ために造本技術は反比例して粗雑に流れ且堕落したことも事実であった。一部に限定版とか特殊な装幀本の要求は実にその反動から来たものと見ねばならない。」(「装幀界の一考察」、『帝国大学新聞』昭和9年6月29日号)


そして、昭和10年に刊行された、ゲテ本を含む装丁に力を入れて一考察のある本を取り上げ、高い評価を与えている。いわば昭和10年度の齋藤昌三造本装丁賞とも云うべきものを発表し、自らが進めてきた造本への思いが、社会的に認められつつあることを伝えようとしている。
「前年に引き續いて良心的なものを造つたのは、岩波書店を初め、白水社書物展望社、竹村書房、龍星閣、創元社、章華社等で、次では岡倉書店、第一書房中央公論社改造社があり、新進として目立つたものに、野田書房、版畫社、沙羅書房、双雅房等があつて、各經營者の特異とするところを發揮してゐた。


本年度に於ける岩波版として主なるものは、中勘助の『琅カン(玉偏に干)』を始め、寺田寅彦の『萬華鏡』、吉村冬彦の『螢光板』等は代表的なものであらう。白水社は所謂フランス流のスマートな假裝本の多くに得意な裝を施して、他の追縦を許さぬものであつたし、その反對に各版毎に異つた材料を活用した書物展望社版は、本年も磨出し漆塗りの『書淫行状記』を筆頭に、南洋産の大蛇を背貼りにした中原綾子の『悪魔の貞操』や、キルク裝の辻潤の『知人の独語』、職人の革羽織に擬した三村竹清の『かきすて』の超特版、著者遺愛の着衣更紗で外装した小出楢重の『大切な雰圍氣』、その他西村眞琴の『凡人経』、内田魯庵の『紫エン(火偏に因)の人々』、深尾須磨子の『丹波の牧歌』等と、大いに馬力をかけてゐた。……横光利一の『機械』『天使』などは創元社風として獨自のものといふべく、章華社の柳宗悦著『美術と工藝の話』、和田三造著『歐米繪の旅』、第一書房版、田中冬二の『山鴨』、堀口大學の『季節と詩心』は本年度の二者を代表する裝釘と称すべく……」(齋藤昌三「装幀界概観」、『書物展望』第六巻第一号、書物展望社昭和10年12月28日)と、具体的な作品名を挙げて、報告している。



齋藤昌三『書淫行状記』(書物展望社昭和10年)、表紙には、漆塗りの研ぎ出しという技法が使われており、手の込んだ、豪華な作りになっている。




中原綾子の『悪魔の貞操』(書物展望社昭和10年10月3日)。ネットで購入したら、「南洋産の大蛇を背貼りにした」本ではなく、普及版が届いてしまった。これはこれで、なかなかのゲテぶりだが、齋藤昌三の装幀にしては、むしろ清楚で、万人受けしそうな造本だ。奇をてらったといえば、本文の組み方は、かなり奇抜で、こちらのほうがよほどゲテと言える。タイトルだけを前ページの最後に置き忘れたかのように配置するのは、むしろタブーとされており、めったに目にすることはない。


装丁:佐野繁次郎横光利一『時計』(創元社昭和9年12月15日)、表紙には、ジュラルミンの板が縫い付けてあり、昭和モダニズム運動の中でうまれた「機械主義」を提唱する横光の、文章を視覚化したものと思われる。



装丁:佐野繁次郎横光利一『機械』(創元社昭和10年3月15日)。初版(左)と、再版(右)とでは、よく見ると題字が書き換えられている。



装丁:佐野繁次郎横光利一『機械』(創元社昭和10年3月15日)。この本は中とじの単行本として知られている。綴じ糸は、麻紐のような天然素材のモノを使っているが、いかにも齋藤が好みそうで、この辺りが齋藤昌三造本装丁賞にノミネートされた理由だろう。



(『書物展望』第六巻第一号、書物展望社昭和10年12月28日)

さらに、
「……扨(さて)、野田書房の『犀星俳句集』、『雨瀟々』(荷風)、『折柴随筆』(瀧井)、『一吟双涙抄』(春夫)版畫荘の『ゑげれすいろは人物』(澄生)、『二なき生命』(城)、『猫町』(朔太郎)、沙羅書店の『日輪』及び『覚書』(横光)、 双雅房の『煮くたれて』(碧梧桐)、『青燈随筆』(木村)、臺灣の西川滿氏の『姐祖祭り』等は新進であり、今後に期待を有たるゝものであるから、十一年度成績を大いに期待してゐる。」



装丁:谷口喜作、瀧井孝作『折柴随筆』(野田書房、昭和10年9月15日)、一見、なんの変哲もない普通の本のように見えるが、今ではなかなか見られなくなってしまった「面取り」という芯紙の縁をかんなで削り、紙の断面が台形になるようにしてある。


と、限定本、豪華本、ゲテ本等を刊行した新進の出版社を紹介し、"良心的なもの”を作った出版社がいかに沢山あるかを紹介し、「最近は装幀そのものに目立って凝らないまでも、分に應じて留意するやうになった、即ち一般常識化した結果目立たなくなったので、それだけ廣く装幀常識は発達したものとみてもよい」と、装幀全体のレベルアップに目を細めている。