2011-03-25から1日間の記事一覧

自分なりに努力をし、研さんを積んできたという自負はあったが、やるべき時期に学校に通って基礎的な勉強が出来なかったという負い目を感じていた。そんな光に自信をくれたひと言があった。

「麻布三連隊の写生会は、たしか昭和十八年頃の様に記憶している。吉田貫三郎・三芳悌吉らの画友も次々に兵隊に取られた。私は丙種のせいもあって、昭和二十年に入るまで東京にうて挿絵を徹夜で描いていた。世間は僕を挿絵画家と思っている。事実、僕の描く…