【クマガイソウを見に所沢市・多聞院へ行ってきた!】

【クマガイソウを見に所沢市・多聞院(たもんいん)へ行ってきた!】
 クマガイソウの群生が見られる所沢市・多聞院へ行ってきた。ほかにも、浦島草、雪餅草、ムサシアブミ草、赤延齢草、アブミ草などなど、普段なかなか見ることのできない珍しい花が咲いています。
 アクセスは、西東京市・平松からバス▶︎西武新宿線田無駅▶︎航空公園駅▶︎バスで多聞院で、家から約80分でした。
 多聞院は、ボタン寺として知られており、5月になると境内はボタンの花でいっぱいになります。

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群生する熊谷草 クマガイソウの和名の由来は、膨らんだ袋状になっている花びらの一部(唇弁)を、源平合戦の頃に武将が背後からのやを防ぐために身に着けていた「母衣(ほろ)」に見立て、より大きな方を「青葉の笛の一騎打ち」で勝利した熊谷直実にちなんでクマガイソウ、小さな方を一ノ谷の戦いで彼に討たれた平敦盛にちなんでアツモリソウと名付けた。

 

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熊谷草

 

敦盛草の名の由来は、  一ノ谷の戦いで源氏の奇襲で討たれた平家の若き武将、平敦盛(たいらのあつもり)が、流れ矢を背後から受けた場合の防具として、大きく膨らませた母衣(ほろ)を鎧の上に背負っていたそうです。 その袋状の母衣に花の唇弁が似ていることからついた名です。 ちなみに平敦盛の首を切った源氏の熊谷直実(くまがいなおざね)もどうような母衣を背負っており、こちらはクマガイソウの名の由来となっています。

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敦盛草(あつもりそう)

この赤い母衣(ほろ)が敦盛草の唇弁とにているので、その名が付けられたという。母衣(ほろ)を鎧の上に背負た平敦盛

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母衣(ほろ)を鎧の上に背負た平敦盛

 

 

 

 

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浦島草素心

 

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雪餅草

 

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武蔵鐙草(むさしあぶみそう)

 

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赤延齢草(あかえんれいそう)