「池波さんとの仕事で、自分がいちばん気に入っているのは、『太陽』という雑誌で連載した『男振』(昭和四十九年〜五十年)です。一年ちょっととつづきましたけど、これはいい小説でした、だから、いい絵が描けた。昔の編集者は、中さん、これ大した小説じゃないんだけど、ひとつ絵で引き立ててください。なんて、よく言ってました。でもそうはいかないんです。絵描きも読者の一人だから、小説が面白ければ力が入る。面白くなければ力が入らない。これはしょうがないんです。だから、池波さんのものは、みんななかなか面白い絵が描けたと思います。


そこで、さっそく、『太陽』に連載された「男振」を探してみた。東京八重洲口地下街、神保町、高田馬場、新宿と、休日を返上して古い『太陽』を探し歩き、やっと6冊ほど手に入れることができた。1冊200円から800円まで価格はさまざま。一度には掲載できないので、いいところを少しだけ掲載しよう。古い無線綴じなので、開いた途端にばらばらになってしまった。



中一弥:画、池波正太郎「男振 その1」(「太陽」平凡社、1974年7月号)



中一弥:画、池波正太郎「男振」(「太陽」平凡社、1975年6月号)天地190×左右175㎜
本物の編笠を資料として持っているのだろうか? 何から何まで絵の資料を探して所有していたら、家中博物館のようになってしまいそうだ。



中一弥:画、池波正太郎「男振」(「太陽」平凡社、1975年6月号)天地125×左右315㎜
雑誌に大きく掲載された絵は、ネット掲載するときには逆に小さくなってしまうのは、残念。


掲載されている絵でさえも左右が315㎜もある大きな絵で、A4サイズのスキャナーでは1回ではスキャンニングできないほどだ。原画は当然この2倍位は大きく描いているのではないかと思われる。大きな絵は、指先だけのストロークではなく腕の動きで描けるのもいい絵を生む条件が揃っている。さらに、細部まで丁寧に描き込めるので、完成したときには迫力がある。絵の良さは大きさにも比例し、原稿料にも比例しそうだが?


私の、40歳代最盛期説をあざけるかのように、このシリーズは63歳から64歳の時に描いたものだが、かなり絵に力があり、本人が言うように、本当にいい絵だ。新聞小説に小さな絵を描くよりは、はるかに気分良く、のびのびと描いたのだろう。