高橋忠弥の芸術論3

前日の新聞記事のタイプアップ続きです。


沢田 時間的にも距離的にもずいぶん近くなっているのだから、今のような差というものはだんだんなくなっていくんじゃないか。
高橋 たしかに絵画精神の浸透は地域性をのり越えている。このクリーマーの問題も画壇の問題だが、最近はもう一つのクラシックについての考え方も問題になっている。アブストレーに対する反省の立場から為されているのだが。


司会 古典といえば近々ルーブル…が開かれるようだが……
高橋 逆なんだ。ピカソマチス、ルオーそれからルーブル展だから。

司会 しかしそれこそ日本のあり方に対する痛烈な皮肉だし、現実じゃないですか。
高橋 それはそうだな。日本のオッチョコチョイ性への皮肉だナ。
沢田 しかし大体日本が高い金を出して外国の作品を見せるより松方コレクションでも早く買戻した方がいいのだ。建物代など安いものだろう。つまりは日本の政治の貧困さかも知れないが。


司会 お二人が画家を志した動機をお話しください。
沢田 一言でいえば好きだったからだ。中学時代から描いていたしかし今の時代は単に好きだというだけではムリかも知れないナ。何しろわれわれのころは五銭か六銭あれば一応カロリーがとれたんだから。
高橋 そうだ。世の中がよかった。私個人に限っていえば友達がよかった。小泉一郎にすすめられたり、森荘巳池が後押ししてくれたり……。




長い引用でしたが、ここまでが、昭和29年10月に岩手新報?か岩手日報に掲載された対談です。
最後の忠弥が多くの装丁を担当した森の名をあげて「森荘巳池が後押ししてくれたり……」と感謝しているのがとても印象的です。


ちなみに、この対談をやった頃の装丁を見てみると

・冨島健夫『雌雄の光景』(河出書房、1955年)

・芝木好子『州崎パラダイス』(講談社、1955年)

高見順編『浅草』(英宝社、1955年)

邱永漢『オトナの憂鬱』(光風社、1959[昭和34]年)

平野威馬雄『女の匂いのする兵隊』(東京書房、1959[昭和34]年)








これらの装丁からも自らをも奮い立たせるかのように「日本には本当のアブストレーがない」と叫び、具象と抽象の間で揺れる忠弥の嘆きが聞こえてきそうである。