これが明治のベストセラー、三大名著


福沢諭吉学問のすすめ』(明治5年)
・中邨正直『西国立志編(原名自助論)』(駿河静岡 木平謙一郎蔵版、明治5年)
・内田正雄『官版輿地誌略』(明治7年)


学問のすすめ』は、1872年(明治5年2月)初編出版。以降、1876年(明治9年11月25日)17編出版を以って完結。その後1880年明治13年)に「合本學問之勸序」加え一冊の本に合本。その前書きによると初出版以来8年間で合計約70万冊が売れたとある。


「學問(がくもん)のすゝめは一より十七に至るまで十七編の小册子(せうさつし)何れも紙數(かみかず)十枚ばかりのものなれば其發賣(はつばい)頗る多く毎編(まいへん)凡そ二十萬とするも十七編合して三百四十萬册は國中に流布(るふ)したる筈(はず)なり」( 福澤諭吉 『福澤全集緒言』p. 81)
とあるように最終的には340万部も売れたという。当時の人口は3000万人だからほぼ10人に1人が読んだ計算になる。


西国立志編』の売上部数は、明治時代を通じて累計100万部以上にのぼったといわれ、日本の国民的教科書としての役割を担い、多くの小学校で修身の教科書として用いられた。


内田正雄『輿地誌略』は、明治4年から刊行が始まり、明治13年に全4編12巻(13冊)の世界地誌書。第9巻の刊行後に内田が他界し刊行継続が危ぶまれたが、文部省時代の同僚・西村茂樹が意志を継いで残された草稿を元に執筆編集を継続し完結させる。
第1編(1〜3)は大学南校、第2編(4〜7)は文部省、第3編(8〜12)は修静館(内田家)から出版。「文部省雑誌」(明治7年)によれば刊行途中ではあるが、154,200部発行されている。