アール・ヌーヴォーにはさまざまな呼び名があり、ドイツでは1896年1月にミュンヘンで創刊された雑誌「ユーゲント」からきた「ユーゲント・シュテイル」という言葉が生れ、やがて世紀末芸術一般を指す言葉として用いられるようになる。オーストリアでは1897年に「ウィーン分離派」の名のもとに、急進的なウィーンの画家及び彫刻家によって結成された芸術家グループから出た「ゼツェシオン(分離派様式)」、イタリアではヨーロッパ最大の装身具店のひとつで、木綿のプリント生地製造業者として知られるロンドンのリバティ商会にちなんで「ス


アール・ヌーヴォー」という名称が生まれたのは、1895年に美術商サミエル・ビングがこの名の店をパリに開いていた以来、それまで使われていた「モダーン・スタイル」に取って代わって使われるようになったもの。フランスでアール・ヌーヴォーの独自の様式が生まれはじめ、また、ビングの店が人気を集めるにつれて、この店の名がそのままフランスでの様式名となった。


1900年のパリ万国博覧会以後、およびこの様式が普及してから、この言葉が、ドイツ語圏を除き一般的なものとなった。