高橋忠弥の手製本「写生」を入手した

高橋忠弥の話を書くのも久しぶりになってしまった。先日所沢の古書市で忠弥装画の「文藝首都」(文藝首都社、昭和38年)を購入した。


本文中にもたくさんの挿絵を寄せている。忠弥の挿絵はタブローとの差がないところがいい。描くときにはタブローも挿絵も区別なくすべて等しく忠弥の作品というくくりでしかない。忠弥のきまじめな人柄がそんなところに出ているのだろうか。


ランプの絵などは挿絵といえどもほの暗い中で輝け!輝け!とつぶやきながら描いたのではないだろうかとも思われるほどに、今にも輝き出しそうな臨場感がある。私もそんな風にして文章を書き絵もデザインも描く。そしてあまりにもうまくいったときには、一人嬉しくなって、時には涙を浮かべてしまうこともある。絶対に忠弥もそうだった、そうであって欲しいと、この絵を見ながら思った。







今日のメインはこの「文藝首都」ではなく、神保町の古書店・玉晴(きゅうせい)さんが見つけてくれた『写生』。私にとっては清水の舞台から飛び降りるようなつもりで購入した高価な掘り出し物だ。おそらく手製の私家版で数十部くらいしか発行しなかったのではないかと思われる。


表紙は籃胎(らんたい)を思わせるような光沢とエンボスのある紙を使った豪華な作りだ。籃胎の籃は竹籠を意味し竹籠で胎んだ(素地とした)漆器のことをいう。



・「写生」(奥付はない)
目次には11枚の絵のタイトルと
北京写生
高橋忠弥画
川村徳助発刊
高瀬虎彦印
長谷川聡製本

とある。


それぞれの絵には昭和14年北京とかタイトル、コメントなどが記されていて、「改造」の記者として中国に行ったときの写生集を元にして作られたものと思われる。


犬の糞のような鳥と称されたカラスや得意の大八車はここでも健在だ。写生というよりはイメージ画に近いので、これじゃわざわざ中国まで行かなくとも日本で描いてもかわらないのでは? カラスがいたときの驚きが違うって?




上の絵には「支那にも烏がいる。 忠弥 昭和十四年十二月」と、記されており、日本と同じような烏がいたことに興味を示している。