このころになると、ビアズリーは、ジャポニズムの影響を受けた新たな表現技法を手中にしており、『アーサー王の死』の挿絵をバーンジョーンズ風のスタイルで描くことが、本来自分がやるべき仕事ではないことに気づき、やや嫌気をさしていた。それでも仕事としては完成させなければならず、ジレンマに陥っていた。
そのことを察知した母エレンは、ロバート・ロス宛に「私はオーブリーが『アーサー王の死』のことでデント様に対して失礼な態度をとっていることがとても心配です。この仕事をすっかりご破算にしようかとオーブリーが言っているのを耳にしてぞっとしました。……好きになれない仕事だからなどとうそぶいて一生懸命にやろうとしない我がままがいけないのです。……デント様は既に資金をつぎこみ、予約購読者の皆さんもそうなのですからオーブリーが仕事を放棄しましたらとんだ恥さらしになりましょう。」(『ロバート・ロス』1952年刊に収録された書簡)との書簡を送っていた。
デントは、ビアズリーの満足されない制作意欲を満たすために、『アーサー王の死』を製作中に、同時進行で『名言集』の挿絵を依頼した。