【101冊の挿絵のある本(10)……田中良:挿絵、菊池寛編「少年剣客鬼歓」(『小学童話読本』興文社、大正15年3月)の挿絵12点を紹介します。
この本には挿絵画家についての記載が一切なく、手がかりは「Ryo」というサインだけだ。こんな時のために、かつて私が『紙魚の手帳』に連載していた「挿絵家たちの署名(モノグラム)」が役に立ちました。
赤丸の中に「Ryo」のサインがあり、田中良のサインであることがわかりました。
◆田中良(たなか りょう、1884年10月29日 - 1974年12月31日)満90歳没。
東京市麹町区に生まれる。明治37年(1904)学習院中等部に在学中、太平洋画会研究所に通い、翌38年4月東京美術学校西洋画科に入学、明治43年(1910)3月同校を卒業。翌44年3月に建てられた帝国劇場に、45年から背景部助手として勤め舞台美術にたずさわる。1919年(大正8年)にはヨーロッパ諸国、アメリカ合衆国を視察する。帰国ののち、新歌、舞伎、新舞踊の舞台美術を手がけ、大正12年(1923)には宝塚歌劇団に背景部を新設して指導にあたり、昭和11年(1936)東京宝塚劇場開設とともに同劇場舞台課長に就任。
新聞小説や雑誌の挿絵、絵本も手がけており、1928年(昭和3年)には、貴司山治の小説『人造人間』をフォトロマン『霊の審判』として朝日新聞が連載する際、阪東妻三郎らの特写スチル写真の構成を手がけ、さらに同作の映画化の際には美術監督として、撮影用セットの設計等を行ったが、同映画は撮影途中で製作中止となった。円本全集では、アルス『日本児童文庫』、興文社『小学生全集』などにたくさんの作品の挿絵を手がけた。戦後も『講談社の繪本』の挿絵などで活躍した。