地元・西東京市の地名のルーツをsぐる

【田無地方史研究会に行ってきました12.16編】
 この日のテーマは
・「土地の沿革…保谷パークハウスの敷地について」石井晴一
・「田無村検地帳の復元」近辻喜一
 石井さんの話は、私が住んでいる場所の沿革なので興味津々でした。その土地の歴史を知るということについては、一級建築士の村井修さんから『ゲニウス・ロキ』(事物に付随する守護の霊という意味の「ゲニウス(Genius)」と場所・土地という意味の「ロキ(Locī)」の二つのラテン語をもととし、場所の特質を主題化するために用いられた概念。物理的な形状に由来するものだけでない、文化的・歴史的・社会的な土地の可能性を示す。日本では「土地の精霊」または「地霊」などと訳される。)を教えていただいてから、ますます地元の歴史や風俗などに興味を持つようになりました。


 検地帳に関しては、検地の具体的な方法や、下保谷村検地帳などに興味を持ち始めていたところでしたので、この日の近辻さんのお話は、一言漏らさず楽しく拝聴させていただきました。


これは『下保谷村検地帳』(寛文3年[1663])ですが、私は、同じ資料を使っていても耕地面積や年貢よりも、今は西東京市の昔の地名(小字名)に興味を持って調べています。
 例えば、現在は「坊が谷戸(ぼうがやと)」と呼ばれていますが、地検帳では「ほうかいと」と記されています。つまり「ほうかいと」という地名に「坊ヶ谷戸」という漢字を後で「当て字」したのではないかと推察しています。


これも『下保谷村検地帳』(寛文3年[1663])に記された「坊かいと前」という表記です。ここではとりあえず「前」は除きます。一字だけ漢字が使われていますが、下のひらがなの部分にも漢字を当てはめると「坊(ぼう)・谷(かい)・戸(と)」となり、「ヶ」は不要なのではないかと思っています。


「旧下保谷村のチョウバと小字の図」では、赤丸部分では「坊が谷戸(ぼうかいと)」とルビをふっています。坊が谷戸の読み方は、「坊ヶ谷戸」(ぼう・かい・と)と読むべきものなではないのか、とおもいます。


これはほんの一例ですが、地名が時代とともに変化してきています。現在使われている呼び方でも特に不便はなく、それが間違いだというわけでもありませんが、地名の沿革を知ることで、そこの土地のかつての地勢や利用され方、産業なども理解することができます。