先週の日曜日、所沢の古書市で、この1頁が欲しくて『明治大正文学全集 28巻 鈴木三重吉』(春陽堂、昭和2年10月)を購入してしまった。その頁とは、鈴木三重吉の自筆原稿が掲載されている頁だ。



鈴木三重吉の手書き原稿「活版にまわした『古事記物語』の原稿の一部」(『明治大正文学全集 28巻 鈴木三重吉春陽堂昭和2年10月)より


どこが、そんなに面白いのかって? この原稿を見ていると、執筆者の気質などが分ってくるから面白い。この原稿、すごくないですか。どうやって活字を拾ったらいいのか、現場ではかなり困ったのではないかと思われる。身勝手というか、自分に関することには潔癖症というほどに神経質なわりに、他人への配慮など全くない。悪筆の作家は多く、私が見た原稿の中では五味康祐などは、特にひどかった。


こんな原稿で、本を1冊つくるとなると大変だ。印刷の現場の声は直接三重吉の耳には入ってこないだろうが、万事こんな具合だから、装丁者とのトラブルが絶えなかった。そんなで、よく長年、雑誌を主宰していられたものだ、と感心させられた。


鈴木三重吉といえば、大正7年に、児童雑誌『赤い鳥』を創刊したことで知られている。大正五年、長女スゞが生まれた時に「別にどこへ出すといふ意味でもなく、たゞ至愛なすゞに話してやりでもするやうな、純情的な興味から、すゞの寝顔を前にしたりして、『湖水の女』外三篇の童話をかいたのが、そもそも私が童話にたづさはる、最初の偶然の動機となつたのは、いつはりのない事実である。」(『明治大正文学全集 28巻 鈴木三重吉』(春陽堂昭和2年10月)というように、童話作家としても知られ、『湖水の女』は、復刻版もでているので、手軽に手にすることが出来る。



装丁:深沢省三「赤い鳥」第19巻第4号(赤い鳥社、昭和2年



装丁者不明、鈴木三重吉『湖水の女』(春陽堂、大正5年)


こんなものに飛びついたのは、実は数年前に、『三重吉全作集』全12巻(春陽堂、大正4〜5年)をめぐる、装丁者・津田青楓とのやり取りについて書いたことがあり、三重吉の性格に興味が及び、その時になにか三重吉のことが分る資料が見つからないものかと漁っていたことがあるからだ。


二人の関係は『三重吉全作集』の完結を待たずに険悪になってしまい、青楓は全巻装丁をする事なく途中で装丁を降りてしまう。