力強くあでやかな香華を放つキネマ文字は華やかな時代の象徴?08.2.6

久しぶりにキネマ文字を見つけた。それもドハデな新聞全面広告だ。昭和2年4月1日付けの東京朝日新聞、金曜日の夕刊の第三面に掲載されてたもの。色々な映画館が集まっての合同広告だが、さすが、映画の第一次黄金時代といわれるだけあって規模がでかい。今では映画の広告だけの全面広告なんて見られないのではないかと思う。


この映画広告の文字は、全面一人だけで書いたのだろうか? 何人かで手分けして書いたのだろうか? いったいどのくらい時間をかけて書いたのだろうか? さまざまな疑問が浮かんでくる。この文字を書いた人は健在なんだろうか? 聞いてみたいことがいっぱいある。誰が最初にこのキネマ文字のスタイルを書き始めたのか? 昭和初期にはこのような文字を書く人は沢山いたのか? 


その多くが疑問のままでなかなか解決の糸口がつかめないでいる。誰かその辺の話を書き残してくれていないのかな、と思う。  




何はともあれ、兎に角文字がきれいだよね。うんうん、ほれぼれしてしまう。よく見ると、うまい下手があり数人が書いていることが分かる。「妙法院勘八」「父帰る」「我れ若し王者なりせば」などは長けている。それに比べ、一面に載っていた日本館はいまいち華やかさがない。


写真は、上から新聞の三面、二面の下、一面の下と広告スペースを映画広告が独占しているのもすごい。当時の映画の人気を高さをこの誌面からだけでも垣間見ることができる。


こんなにも派手なブームがキネマ文字を生み出す土壌となって後押しをしていたことだけは確かなことのようだ。文字のイメージにもどこか華やかさがあって映画にとっていい時代であったことを裏付けているかのようでもある。