斎藤昌三といえば、「愛書趣味」「書物展望」などの雑誌及び単行本の編集をする傍ら、たくさんの書物に関する執筆家として知られている。が、「書物展望社」を主宰し特異な資材を使ったゲテ本などと揶揄されることさえもある美しい限定本の造本家としての名声も高い。ゲテ本の中でも特に良く知られているのは、古番傘を使った齊藤昌三『書痴の散歩』(書物展望社、昭和7年)と筍の皮を使った木村毅『西園寺公望』(書物展望社、昭和8年)とは齊藤昌三装丁の双璧といっても良いだろう。多くの評論家に酷評された本であり、悪評高き美しい本は、まさ



齊藤昌三『書痴の散歩』(書物展望社昭和7年



木村毅西園寺公望』(書物展望社昭和8年


これらの本を実際に製本したのは、齊藤昌三が、製本部と読んでいる中村重義で、素材をさがしたり、それをどうやって加工したらいいのかと腐心し、齊藤と一心同体で工夫を凝らしたふところ刀とも言うべき存在の製本家がいた。手作りで500部とか、1000部とかを黙々と作っていた本物の製本職人が蔭で支えてくれたことが、昭和初期の製本界に「齊藤昌三のゲテ本」といわれる金字塔を残す名作を次々に誕生させることができた所以でもある。


齊藤昌三のゲテ本とよばれる書物群の中で、私が最も好きなのは、齊藤昌三『紙魚部隊』(書物展望社昭和13年)だ。


■友仙の型紙を使った『銀魚部隊』 
 齋藤昌三の第5随筆集となる『銀魚部隊』(書物展望社昭和13年)も廃品を利用したゲテ本だ。 巻頭の「序」には、
「外裝は又かと思はるゝ如きものにした。友仙その他の型紙で、從って一冊毎に異なってゐるは勿論だが、見返しは一冊々々表紙貼りの前に、その表紙と同じ型を摺り出したので、それを合わせるのに製本所の苦心は並大抵ではなかつた。これだけは、恐らく他では到底出來ぬワザであらう。」
と、昌三翁は、今回も得意げだ。見返しは、表紙に使用した型紙を使って、見返用に2枚使う為にだけの目的で刷り出したものを使っているという。が、全冊異なる模様の型紙なので、1枚の型紙から2枚だけ刷って見返しにした。型紙はこの後、裏打ちされて表紙の表層用として使われた。量産本では絶対にあり得ない造本で、この懲りようがたまらないのだ。マニアにとっては嬉しい本だ、が現場泣かせの仕事であることはマチガイナイ。


書物展望社に5年間勤め、『銀魚部隊』の製作にかかわった女子社員の高野ひろこ氏の証言が『日本古書通信』第27巻(古書通信社、昭和37年)に掲載されていたので、引用させてもらおう。 
「私が入社して間もなく出版された先生の著書に『銀魚部隊』があった。凝った装幀にかけては日本一と言われただけに、実に見事なものである。この出版の時、外裝に使用する友染の型紙を捜しに先生のお供をして、日暮里あたりの或る古物屋に行ったことがある。古物屋と言うよりバタ屋とでも言った方がよいくらい最高に汚い所で、そこで廃物になった友染の型紙を買い求めたのだった。一枚一枚画柄の違ったその型紙は一冊一冊異った装幀の本を生み出した。見返しに表紙の画柄を摺り出したものを使用したのだから、製本所の苦心も並大抵ではなかった。また番傘を装幀に使ったときは暴風雨の翌朝にこわれた番傘を拾い集めたと 言うことも聞かされた。ヘビの皮、ネコの皮、白樺の皮、笹の葉に至る迄外装に使いその装幀にかけては労苦をいとわぬ狂人的とさえ言える先生であった。」
と、齋藤の強引さが目に見えるようだ。 


左端の銀箔押しのタイトルの下地にカラフルな紙片が貼ってあるが、
「なほ金版を掛けた繪紙の一片や切手の類いは、單調の表裝に多少の色彩を添へたものに過ぎない。」と、さほどの意図もなく悪戯っぽく貼ったもののようだが、手貼り550部も作るのは、この作業だけを取っても簡単な作業ではない。 




齊藤昌三『紙魚部隊』(書物展望社昭和13年



齊藤昌三『紙魚部隊』(書物展望社昭和13年)見返し


「尚ほ扉に叉貧乏神の如きスケッチを使用したので、前々回の刊本の折り讀者からお叱りを蒙った例もあるが、自ら好んで自像を宣傳用にするのではなく、余程漫画やスケッチに適した顔と見へ、いつも知らぬ間に寫されてゐるもので、これも先年内田畫伯が自分の執務中をスケッチして寄贈されたものであり、篋底の紙魚の糧にするには勿體ないので敢て利用したが、この他漫畫だけでも十餘種ある。よほどストン狂のツラと自笑してゐる。」と、照れ隠しに謙遜はしているが、かなりのナルシスト振りだ。



内田巌:画、齊藤昌三『紙魚部隊』(書物展望社昭和13年)前扉


この本には、「裝幀懺悔」という昭和12年8月に三越で開催された「印刷と出版文化展」に関するエッセイが掲載されているので、後半の自分の手掛けた装幀本に関する話の所を転載し拝読してみよう。


「昭和になって以來手を付けた裝幀は約六十種もあるが、正直に言へば何れも一種の試作であり、只わが國に存在する材料の多方面を暗示したに過ぎない。即ちそれらに就いて區別して擧げるならば竹や葛布、風呂敷や猫皮を利用した『西園寺公望』『野客漫言』『杯洗の雫』及び『アルピニストの手記』の蒔絵裝など、いづれもゲテ趣味として其の當時こそ苦心はしたが今になって見ると部分的に不快な點が出て来て中には全部を回収して燒却したい物もある。下手本でなくも材料の點で失敗したのは『読書放浪』『高安の里』や『丹波の牧歌』『擁爐漫筆』等で、殊に『高安の里』や『涓滴不喚洞』の類は、著者の我を通されたのが強く、途中で幾度投げ出そうとしたか知れない。」


「由来裝幀のことは任せるかには途中から異見を強要されては、謂はゞヒネツコビれた子供のやうな結果に陥るものであることを覺らされた。『スペードの女王』『に至っては折角の考案を造本者が全然裏切ってゴマかしものにして了つたことを今でも不快として居る。右と反對に多少なり自分の期待に添うたものは『痴人の獨語』及び『紫烟身邊記』の特裝本、歌集『秘帖』詩集『しるゑつと』『成簣堂閑記』『退讀書歴』などで、『阿難と鬼子母』も爰に擧げてもよい方であるが、この書のオーナメント刷りに濃薄が著しくあつたのを批難されもした。しかし、生漉和紙への色刷りは初めは濃くでても、枚數が重なる中に薄くなるのは、洋紙の如く叉手刷の如く平均には出來ぬといふ裏面の苦心が一般には判らぬ結果の評で、其の點では近刊のアオイ書房の『銅版繪本』は、恐らくは最も良心的印刷で發表されることであらう。」


柳田國男先生の命名された余の下手裝本で成功にちかいものは『共古随筆』『紙魚繁昌記』『梵雲庵雑話』『書齋の岳人』で、自著の『書痴の散歩』『紙魚供養』も茲に加へてもよいが、材料が一冊毎に相異してゐただけに、極端に面白いものもありくだらないものもあつたといふ不統一さもあつた。以上にくらべて可もなく不可もなく、平々凡々に終始したのは『蔵書票の話』(普及版)『雪あかり』『不盡想望』『佳氣春天』『悪魔の貞操』『汲古随想』『郷愁』等々でとかく慚愧に堪えぬもの許りであり、なまじ一任された著者方に、今に及んで深くお詫びする次第である。」


「かく記し来って過去の足跡を顧みる時、大半は獨りよがりに堕して將來に遺るものゝ一もなかつたことを、心から恥ずると共によい仕事の上には、よく自分等の希望を必ず容れて呉れる造本者の養成が必要であることを痛切に感ずる。(昭和十二年十月『書窓』)」


と、戦前の齊藤本の装幀総自己批判とでもいうべき長い引用でしたが、毒舌家らしくもなく、謙遜があるのか歯切れの悪いあまりはっきりとしない内容でちょっと失望。一体どれが最高の本なのか、たとえうぬぼれでもいいから聞いてみたかった。最後には、独りよがりで、よい造本者が居なかったように言っているのは、私はもっといいアイディア画あったのだが、それを実現してくれる造本者が居なかっただけだ、との責任転化ともとれて、変なところでのうぬぼれだけは強いようにお見受けした。

■11月にJR中央線・日野駅前にある実践女子学園生涯学習センターで「美しい本の話」と題する講座を3回に渡って開催予定。毎回たくさんの本をもっていきますので、実物を手に取ってご覧下さい。


・受講料=3,150円
・日 程=11月2日、11月16日、11月30日(いずれも10:30〜12:00)
・内 容=1.洋装本の伝来と装丁の始まり
      ─橋口五葉の漱石本とアールヌーボー
     2.幾何学模様の装丁は今でも斬新
      ─恩地考四郎の前衛美術装丁─
     3.廃物を利用した豪華な装丁
      ─番傘などを使った斎藤昌三のエコ装丁─
・申込・問合せ=TEL.042-589-1212 FAX.042-589-1211
(日・祝日は休館)
        フリーダイヤル=0120-511-880(10:00〜17:00)
        HP=https://www.syogai.jissen.ac.jp
・場所=〒191-0061東京都日野市大坂上1-33-1(JR中央線日野駅前)



古い番傘を利用した斎藤昌三『書痴散歩』(書物展望社昭和7年