昭和13年10月の朝日新聞広告欄にはキネマ文字はほとんどなかった


昭和13年国家総動員法が公布された年であり、物価統制品を物資不足につけ込んで高い価格で勝手に売買する「ヤミ行為」が行われるようになったのも物品販売価格取り締まり規則が公布されたこの年からだ。昭和の初めには新聞の第一面全面を飾った映画の広告もほとんど見られなくなり、軍歌のレコードなどに押されながら小さく掲載されているのを見つけた。



翌14年にはパーマネントが禁止され、国民精神総動員の本部、警視庁、東京市などなどによって「贅沢は敵だ」という標語の贅沢排撃の立て看板が立てられ、ポスターが貼られた。そんな時代的背景があり、封切られる映画もファシズム色の濃いものが上映されるようになった。こうなると遊び心たっぷりのキネマ文字も自粛せざるを得なかったのだろうか。影を潜めつつある中、やっと見つけた映画広告にもあの華麗なキネマ文字は見られなかった。


どっこい、キネマ文字は新しいジャンルで芽を出していた


「ポパイ」が満員御礼になっているのが面白い。この数年後には敵国アメリカの映画として当然上映は禁止されていたものと思われる。映画のタイトルからは消えてしまったキネマ文字だが、どっこい婦人病の治療薬の広告キャッチフレーズ「女性美の泉郷」に取り入れられていた。女性的なイメージを訴えるのに適した文字として市民権を得たものと思われる。