まずは架蔵書でつくる百穂装丁本書誌一覧から


平福百穂についてはあまり情報も資料も持っていないので、どこまで書き続けられるか不安だが、とりあえずは私が所有している百穂の装丁した書物の一覧作りからはじめようかと思う。


百穂の装丁で有名なのは何といっても、奈良・正倉院所蔵の古鏡「鳥獣花背方鏡」模様を模した図案を採用した岩波文庫の装丁だろう。が、百穂の装丁について書かれた資料は少く、装丁作品の数の多さとは反比例するように、日本画家としての画業ほどには知られていないように思える。写真は平福百穂装丁、伊藤松宇校訂『芭蕉七部集』(岩波文庫昭和2年8月)。



ちなみに岩波文庫は1927年(昭和2年)7月10日、岩波書店より創刊され、今日手に取る事が出来る岩波文庫より天地が10mmほど大きな判型で、『万葉集』『こころ』『藤村詩集』『戦争と平和第壱巻』『五重塔』『幸福者』など31書目でスタートした。『芭蕉七部集』も創刊31書目のうちの1冊だ。

(*注:岩波文庫編集部のブログには「岩波文庫は1927(昭和2)年7月10日に,夏目漱石『こころ』,幸田露伴五重塔』,樋口一葉にごりえたけくらべ』,島崎藤村『藤村詩抄』,トルストイ戦争と平和(一)』,チェーホフ桜の園』,プラトンソクラテスの弁明・クリトン』など22冊,5日遅れてカント『実践理性批判』1冊を刊行してスタートしました.以来80年,現在(2006年12月)までの総刊行点数は5400冊になります.」とあり23冊からの出発だったのか? 『芭蕉七部集』の発行日は8月2日なのでどう判断するのか微妙だ。)


創刊前日の東京朝日新聞第1面には「古今東西の典籍-自由選択の普及版 岩波文庫」というキャッチフレーズと「読書子に寄す 岩波文庫発刊に際して」という文庫本巻末に記載された岩波茂雄の文章を使った広告を載せている。




百穂の略歴については大方下記のようなものだ。

平福百穂(1877~1933)

 平福百穂(ひらふくひゃくすい),明治10年(1877) 秋田県角館に日本画家・平福穂庵の四男として生まれる。本名・貞蔵。13歳のころ父から運筆を習う。16歳で父の後援者・瀬川安五郎の支援の下,絵の修行のため上京,四条派の第一人者で東京美術学校日本画科の教授をしていた川端玉章の門人となる。後に盟友となる結城素明を知る。
 東京美術学校で学ぶ。活躍の主舞台は素明らと結成した「无声会(むせいかい)」。日本画に洋風の写実表現を取り入れた自然主義的画風で日本画の革新に乗り出し注目される。明治36年ころから伊藤左千夫正岡子規長塚節斉藤茂吉らと交友するようになり,アララギ派歌人としても活躍する。
 大正期(1912-1925)に入ると百穂の画風はさらに多彩となり,文展に「七面鳥」「豫譲」(第11回特選),「牛」を出品。また,「金鈴社」に「日本武尊・白鳥陵・相模海」「法然上人」などを出品。昭和元年(1926)には第7回帝展に代表作の一つ「荒磯」を出品し, 画壇における地位を不動のものにした。昭和7年に母校・東京美術学校の教授になるが、翌昭和8年10月,脳溢血で倒れ同月30日に享年57才で亡くなった。
著書『寒竹』、『日本洋画の曙光』、『竹窓小話』などがある。


架蔵書で作る平福百穂装丁書誌一覧……1

・「斯民」第参編第拾四号(報徳会明治42年
・伊東左千夫『左千夫歌集第一巻』(春陽堂大正9年
・島木赤彦『太虚集』(古今書院大正13年
新村出『南蛮広記』(岩波書店大正14年
土屋文明『ふゆくさ』(古今書院昭和9年4版、初版大正14年2月)
・村上成之『翠微』(古今書院大正14年9月)
平福百穂『寒竹』(古今書院昭和2年
・藤澤古實『国原』(岩波書店、昭和4年2版、初版昭和2年
・九条武子『歌集薫染』(実業之日本社昭和3年
・高田浪吉『川波』(古今書院昭和4年
・「婦人の友」(婦人の友社、昭和4年
長塚節長塚節全集』第参巻(春陽堂、昭和4年)
・松岡貞総『山彦』(常春社、昭和4年)
葛西善蔵葛西善蔵全集』第四巻(改造社昭和4年
・栗原元吉編『下田歌子著作集 香雲叢書第2巻』(実践女学校出版部、昭和7年
・中山正三郎編『長塚節遺稿』(小山書店、昭和17年