【101冊の挿絵のある本(30)… 小田富弥(1895 - 1990)が描いた林不忘『大岡政談』の挿絵を紹介します!】

【101冊の挿絵のある本(30)…  小田富弥明治28年7月5日 - 平成2年1月13日)が描いた林不忘『大岡政談』の挿絵を紹介します!】小田富弥:挿絵、林不忘『大岡政談』(『一人三人全集』新潮社、昭和8年)には11点の挿絵が掲載されています。丹下左膳は、「大岡政談」に登場する下級武士でしたが、そのキャラクターが評判になり、のちに主役となって『丹下左膳』という小説が誕生しました。

 

林不忘……新聞人だった父に従って2歳のおり函館に移住,そこで幼少年期をすごしたが,函館中学卒業を前にしてストライキ事件を機に退校し,1918年に単身渡米,働きながら勉強した。24年帰国後,松本泰の紹介で森下雨村を知り,そのすすめで《新青年》にいわゆる〈めりけん・じゃっぷ〉ものを谷譲次の名で発表,さらに牧逸馬名で海外推理小説の翻訳や通俗小説を執筆,林不忘の名では《新版大岡政談》を書き,丹下左膳を創造して文壇の寵児となったが,35歳の若さで急逝した。【尾崎 秀樹】」(「コトバンク」より)。

 

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小田富弥:画(口絵)、林不忘「大岡政談」(『一人三人全集』新潮社、昭和8年

 

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小田富弥:挿絵、林不忘「大岡政談」(『一人三人全集』新潮社、昭和8年

 

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小田富弥:挿絵、林不忘「大岡政談」(『一人三人全集』新潮社、昭和8年

 

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小田富弥:挿絵、林不忘「大岡政談」(『一人三人全集』新潮社、昭和8年

 

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小田富弥:挿絵、林不忘「大岡政談」(『一人三人全集』新潮社、昭和8年

 

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小田富弥:挿絵、林不忘「大岡政談」(『一人三人全集』新潮社、昭和8年

 

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小田富弥:挿絵、林不忘「大岡政談」(『一人三人全集』新潮社、昭和8年

 

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小田富弥:挿絵、林不忘「大岡政談」(『一人三人全集』新潮社、昭和8年

 

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小田富弥:挿絵、林不忘「大岡政談」(『一人三人全集』新潮社、昭和8年

 

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小田富弥:挿絵、林不忘「大岡政談」(『一人三人全集』新潮社、昭和8年

 

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小田富弥:挿絵、林不忘「大岡政談」(『一人三人全集』新潮社、昭和8年

 

【101冊の挿絵のある本(29)… 小村雪岱が描いた女性の挿絵30枚を年代順に並べてみる】

【101冊の挿絵のある本(29)…  小村雪岱(明治20〜昭和15年)が描いた女性の挿絵25枚を年代順に並べてみる】と、鈴木春信や竹久夢二、ビアズレーなどに憧れ影響を受けながら、雪岱調と呼ばれる画風を完成させていく様子を手に取るように眺めることができる。

 

 

 

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小村雪岱:挿絵、永田幹彦「春の波」(『をとめ』大正5年1月)

 

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小村雪岱:挿絵、永田幹彦「春の波」(『をとめ』大正5年1月)

 

 

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小村雪岱:挿絵、資生堂化粧品部『銀座』(大正10年10月)

 

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小村雪岱:挿絵、里見弴『多情仏心』(『時事新報』、大正11年12月〜12年12日)『名作挿絵全集第3巻』より

 

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小村雪岱:挿絵、里見弴「多情仏心」(『時事新報』(大正11年12月〜12年12月)

 

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小村雪岱:挿絵、「窓」(『サンデー毎日』昭和2年6月)

 

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小村雪岱:挿絵、泉鏡花河伯霊場」(『婦人倶楽部』(昭和2年5月)

 

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小村雪岱:表紙挿画、『園芸画報』小出治部太、昭和6年

 

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小村雪岱:挿絵、吉川英治「牢獄の花嫁」初出:「キング」大日本雄辯會講談社1931(昭和6)年1月~12月、(『吉川英治全集第3巻』平凡社昭和6年12月)より)

 

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小村雪岱:挿絵、吉川英治「カンカン蟲は唄ふ」(『吉川英治全集第3巻』平凡社昭和6年12月)

 

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小村雪岱:表紙装画、國枝完二『おせん』(三及社、昭和21年)初出=『朝日新聞昭和8年

 

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小村雪岱:挿絵、水谷まさる「ほほえみの花」(『日曜報知』昭和9年2月4日)

 

 

 

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小村雪岱:挿絵、国枝完二「お傳地獄」初出:昭和9年(1934)9月21日〜翌年5月11日「読売新聞」『名作挿絵全集』


 

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小村雪岱:挿絵、邦枝完二樋口一葉」(『婦女界』昭和8年9月〜9年6月)

 

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小村雪岱:画、「小禽と女」(『ホーム・ライフ』昭和10年9月)

 

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小村雪岱:挿絵、邦枝完二「お傳地獄」(『名作挿画全集』平凡社昭和10年6月)より

 

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小村雪岱:挿絵、邦枝完二「お伝情史」(『現代』昭和10年9月~11年10月)

 

 

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小村雪岱:挿絵、邦枝完二隅田川心中」(『オール讀物昭和10年9月)

 

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小村雪岱:挿絵、邦枝完二「三味線師幸栄」(『富士』昭和11年10月)

 

 

 

 

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小村雪岱:挿絵、川口松太郎[[明治女書生」(昭和12年

 

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小村雪岱:挿絵、川口松太郎「官員小僧」(『日の出』昭和13年1月〜12月)

 

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小村雪岱:挿絵、三上於菟吉「敵討篝火河原」(『キング』昭和13年1月〜9月)

 

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小村雪岱:挿絵、三上於菟吉「敵討篝火河原」(『キング』昭和13年1月〜9月)

 

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小村雪岱:挿絵、白井喬二「花刀」(『宝塚春秋』昭和14年3月〜5月)

 

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小村雪岱:挿絵、原作・樋口一葉「たけくらべ」(『大衆文芸』昭和14年3月)

 

【101冊の挿絵のある本(28)… 小村雪岱(明治20〜昭和15年):挿絵、里見弴『多情仏心』の挿絵を紹介します。】

【101冊の挿絵のある本(28)…  小村雪岱(明治20〜昭和15年):挿絵、里見弴『多情仏心』(『時事新報』、大正11年12月〜12年12日)の挿絵を紹介します。】

 『名作挿絵全集』第3巻(平凡社、1980年)からの転載です。この本には21点の挿絵が掲載されていますが、ここでは、真田幸治編『小村雪岱挿絵集』(幻戯書房、2018年)に掲載されている4点も含め25点を紹介します。

・見弴『多情仏心』初出:『時事新報』、大正11年12月〜12年12日。

 

小村雪岱と里見弴とは泉鏡花の紹介で知り合い、里見弴が新聞連載を始めるときに、雪岱を強く推薦してもらったようです。このときの新聞連載小説、里見弴『多情仏心』(『時事新報』、1922年)の挿絵が、雪岱の挿絵デビュー作となり、里見弴の代表作ともなりました。コンテによる洋画風の挿絵は賛否両論があったそうですが、雪岱はこれを契機に挿絵画家としての活躍が始まりました。

 

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小村雪岱:挿絵、里見弴『多情仏心』(『時事新報』、大正11年12月〜12年12日)

 

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小村雪岱:挿絵、里見弴『多情仏心』(『時事新報』、大正11年12月〜12年12日)

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小村雪岱:挿絵、里見弴『多情仏心』(『時事新報』、大正11年12月〜12年12日)

 

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小村雪岱:挿絵、里見弴『多情仏心』(『時事新報』、大正11年12月〜12年12日)

 

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小村雪岱:挿絵、里見弴『多情仏心』(『時事新報』、大正11年12月〜12年12日)

 

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小村雪岱:挿絵、里見弴『多情仏心』(『時事新報』、大正11年12月〜12年12日)

 

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小村雪岱:挿絵、里見弴『多情仏心』(『時事新報』、大正11年12月〜12年12日)

 

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小村雪岱:挿絵、里見弴『多情仏心』(『時事新報』、大正11年12月〜12年12日)

 

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小村雪岱:挿絵、里見弴『多情仏心』(『時事新報』、大正11年12月〜12年12日)

 

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小村雪岱:挿絵、里見弴『多情仏心』(『時事新報』、大正11年12月〜12年12日)

 

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小村雪岱:挿絵、里見弴『多情仏心』(『時事新報』、大正11年12月〜12年12日)

 

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小村雪岱:挿絵、里見弴『多情仏心』(『時事新報』、大正11年12月〜12年12日)

 

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小村雪岱:挿絵、里見弴『多情仏心』(『時事新報』、大正11年12月〜12年12日)

 

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小村雪岱:挿絵、里見弴『多情仏心』(『時事新報』、大正11年12月〜12年12日)

 

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小村雪岱:挿絵、里見弴『多情仏心』(『時事新報』、大正11年12月〜12年12日)

 

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小村雪岱:挿絵、里見弴『多情仏心』(『時事新報』、大正11年12月〜12年12日)

 

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小村雪岱:挿絵、里見弴『多情仏心』(『時事新報』、大正11年12月〜12年12日)

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小村雪岱:挿絵、里見弴『多情仏心』(『時事新報』、大正11年12月〜12年12日)

 

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小村雪岱:挿絵、里見弴『多情仏心』(『時事新報』、大正11年12月〜12年12日)

 

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小村雪岱:挿絵、里見弴『多情仏心』(『時事新報』、大正11年12月〜12年12日)

 

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小村雪岱:挿絵、里見弴『多情仏心』(『時事新報』、大正11年12月〜12年12日)

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小村雪岱:挿絵、里見弴『多情仏心』(『時事新報』、大正11年12月〜12年12日)

 

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小村雪岱:挿絵、里見弴『多情仏心』(『時事新報』、大正11年12月〜12年12日)

 

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小村雪岱:挿絵、里見弴『多情仏心』(『時事新報』、大正11年12月〜12年12日)

 

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小村雪岱:挿絵、里見弴『多情仏心』(『時事新報』、大正11年12月〜12年12日)

 

【101冊の挿絵のある本(28)… 小村雪岱:挿絵、國枝完二『お傳情史』の挿絵を紹介します。】

【101冊の挿絵のある本(28)…  小村雪岱(明治20《1887》〜昭和15《1940》年):挿絵、國枝完二『お傳情史』(新日本社、昭和11年、)の挿絵を紹介します。】

 この本には7点の挿絵が掲載されています。ここでは『名作挿絵全集』(平凡社、1980年)に掲載されている挿絵も含め13点を紹介します。

国枝完二『お傳情史』初出:『現代』昭和10年9月〜11年10月。

 

『お傳情史』は『お傳地獄』の続編であり、最後にはお伝は逮捕され首切り浅右衛門に処刑されて終わります。

 

 

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小村雪岱:装幀(函、表紙)、國枝完二『お傳情史』(新日本社、昭和11年9月

 

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小村雪岱:挿絵、國枝完二『お傳情史』(新日本社、昭和11年10月)

 

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小村雪岱:挿絵、國枝完二『お傳情史』(新日本社、昭和11年10月)

 

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小村雪岱:挿絵、國枝完二『お傳情史』(新日本社、昭和11年10月)





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小村雪岱:挿絵、國枝完二『お傳情史』(新日本社、昭和11年10月)

 

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小村雪岱:挿絵、國枝完二『お傳情史』(新日本社、昭和11年10月)

 

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小村雪岱:挿絵、國枝完二『お傳情史』(新日本社、昭和11年10月)

 

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小村雪岱:挿絵、國枝完二『お傳情史』(新日本社、昭和11年10月)

 



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小村雪岱:挿絵、國枝完二『お傳情史』(『現代』昭和10年9月〜11年10月)

 

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小村雪岱:挿絵、國枝完二『お傳情史』(『現代』昭和10年9月〜11年10月)

 

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小村雪岱:挿絵、國枝完二『お傳情史』(『現代』昭和10年9月〜11年10月)

 

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小村雪岱:挿絵、國枝完二『お傳情史』(『現代』昭和10年9月〜11年10月)

 

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小村雪岱:挿絵、國枝完二『お傳情史』(『現代』昭和10年9月〜11年10月)

 

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小村雪岱:挿絵、國枝完二『お傳情史』(『現代』昭和10年9月〜11年10月)


『お傳情史』は、雪岱の代表的な作品でもある邦枝完二樋口一葉』(昭和8年9月〜9年6月)の後に描かれた挿絵で、雪岱の最も円熟していた時期ではないかと思われます。画像は、小村雪岱:挿絵、邦枝完二樋口一葉』(『婦女界』昭和8年9月〜9年6月)。

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小村雪岱:挿絵、邦枝完二樋口一葉』(『婦女界』昭和8年9月〜9年6月)

 

日本文学はニュースを脚色して報道したのが始まりと言われており、「高橋お傳」のそんな誇張され脚色されすぎたニュースの延長上にあるのではないか、と思っています。「高橋お伝」事件を連載小説風に伝えた新聞報道。

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「毒婦お傳のおはなし」(『東京絵入り新聞』明治12年2月1日)。

 

「毒婦、高橋お伝の報道が各新聞の報道欄において盛行する中で仮名垣魯文は江戸の庶民に親しまれた草双紙合巻『高橋阿伝夜叉譚』を速成、刊行した。……文体は草双紙合巻ないし読本の文体で、読み物ふうに書かれている。……本書はお伝の行状、その一代記をテーマとした点は新聞記事と同様であるが、草双紙合巻に仕立てるためにお伝の物語とは全く関係のない無頼漢の犯行などをこじつけて挿入している。とくに絵本として山賊、無頼漢などの人物、山寨、溪谷などの深山幽谷の環境、喧嘩、殺人などの事件の絵組みが見せ場として必要であった。この種の場面が『高橋阿伝夜叉譚』の全スペースのほとんど八割方を占めている。」(本田康雄『新聞小説の誕生』平凡社、1998年)。

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仮名垣魯文著、草双紙合巻『高橋阿伝夜叉譚』初編(明治12年2月12日 東京出雲町仮名読新聞社に於て 仮名垣魯文再識)。









 

【101冊の挿絵のある本(27)… 小村雪岱:挿絵、邦枝完二『お傳地獄』の挿絵を紹介します。】

【101冊の挿絵のある本(27)… 小村雪岱:挿絵、邦枝完二『お傳地獄』(『名作挿画全集』平凡社昭和10年6月)の挿絵を紹介します。】

 この本には8点の挿絵が掲載されています。ここでは『名作挿絵全集』(平凡社、1980年)に掲載されている挿絵も含め29点を紹介します。これぞ、雪岱調と言われる画風が確立し、雪岱らしさが随所にうかがえます。

国枝完二『お傳地獄』初出:『読売新聞』昭和9年(1934)9月21日〜翌年5月11日、181回。

 

「この挿絵を描いた小村雪岱とはウマが合い、『あれだけわたしの作品を理解して、江戸の女を描いてくれる人は、今後二人と出るまいと思っている」と邦枝は書いている。事実、二人のコンビで、『おせん』『喧嘩鳶』など名作を残しており、この挿絵も傑作の一つとされた。毒婦のイメージが定着している高橋お伝も、実像は貞女だったと言われ、この作品は、その人間性の回復をはかることで、お伝に新しい人間像を賦与したと言える。この続編の『お傳情死』は、昭和10年9月〜11年『現代』に連載され、お伝の刑死で終る。江戸趣味に非ざれば文学に非ず、とした邦枝が、『歌麿』によって確立した方向で、お伝の妖艶な魅力と官能を事件の中に浮彫したところに、ポイントがある。」(岡治良「お傳地獄」、『名作挿絵全集』第5巻)より。

 

 

高橋お伝といふやうな肌合ひの女には興味があるのですが、いままで描いたことはありません。伝法で毒婦型の妖艶な女を描くといふことは楽しみです。それに時代にも興味があります。チョン髷もあれば、ザン切りもあるといふ風俗的にみても、明治初年の最も過渡期にあたる時です。お伝の行動した場所も江戸や横浜を背景にしてゐるので面白味があります。風俗的な資料も蒐めてゐますが、とにかく精一杯に描いて江湖の御愛願を得たいと思ってゐます。」(『読売新聞』夕刊昭和9年9月9日)。 

 

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小村雪岱:挿絵、国枝完二「お傳地獄」(「読売新聞」初出:昭和9年《1934》9月21日〜翌年5月11)日

 

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小村雪岱:挿絵、国枝完二「お傳地獄」(「読売新聞」初出:昭和9年《1934》9月21日〜翌年5月11)

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小村雪岱:挿絵、国枝完二「お傳地獄」(「読売新聞」初出:昭和9年《1934》9月21日〜翌年5月11)

 

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小村雪岱:挿絵、国枝完二「お傳地獄」(「読売新聞」初出:昭和9年《1934》9月21日〜翌年5月11)

 

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小村雪岱:挿絵、国枝完二「お傳地獄」(「読売新聞」初出:昭和9年《1934》9月21日〜翌年5月11)

 

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小村雪岱:挿絵、国枝完二「お傳地獄」(「読売新聞」初出:昭和9年《1934》9月21日〜翌年5月11)

 

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小村雪岱:挿絵、国枝完二「お傳地獄」(「読売新聞」初出:昭和9年《1934》9月21日〜翌年5月11)

 

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小村雪岱:挿絵、国枝完二「お傳地獄」(「読売新聞」初出:昭和9年《1934》9月21日〜翌年5月11)

 

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小村雪岱:挿絵、国枝完二「お傳地獄」(「読売新聞」初出:昭和9年《1934》9月21日〜翌年5月11)

 

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小村雪岱:挿絵、国枝完二「お傳地獄」(「読売新聞」初出:昭和9年《1934》9月21日〜翌年5月11)

 

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小村雪岱:挿絵、国枝完二「お傳地獄」(「読売新聞」初出:昭和9年《1934》9月21日〜翌年5月11)

 

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小村雪岱:挿絵、国枝完二「お傳地獄」(「読売新聞」初出:昭和9年《1934》9月21日〜翌年5月11)

 

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小村雪岱:挿絵、国枝完二「お傳地獄」(「読売新聞」初出:昭和9年《1934》9月21日〜翌年5月11)

 

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小村雪岱:挿絵、国枝完二「お傳地獄」(「読売新聞」初出:昭和9年《1934》9月21日〜翌年5月11)

 

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小村雪岱:挿絵、国枝完二「お傳地獄」(「読売新聞」初出:昭和9年《1934》9月21日〜翌年5月11)

 

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小村雪岱:挿絵、国枝完二「お傳地獄」(「読売新聞」初出:昭和9年《1934》9月21日〜翌年5月11)

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小村雪岱:挿絵、国枝完二「お傳地獄」(「読売新聞」初出:昭和9年《1934》9月21日〜翌年5月11)

 

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小村雪岱:挿絵、国枝完二「お傳地獄」(「読売新聞」初出:昭和9年《1934》9月21日〜翌年5月11)

 

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小村雪岱:挿絵、国枝完二「お傳地獄」(「読売新聞」初出:昭和9年《1934》9月21日〜翌年5月11)

 

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小村雪岱:挿絵、国枝完二「お傳地獄」(「読売新聞」初出:昭和9年《1934》9月21日〜翌年5月11)

 

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小村雪岱:挿絵、国枝完二「お傳地獄」(「読売新聞」初出:昭和9年《1934》9月21日〜翌年5月11)

 

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小村雪岱:挿絵、国枝完二「お傳地獄」(「読売新聞」初出:昭和9年《1934》9月21日〜翌年5月11)

 

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小村雪岱:挿絵、国枝完二「お傳地獄」(「読売新聞」初出:昭和9年《1934》9月21日〜翌年5月11)

 

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小村雪岱:挿絵、国枝完二「お傳地獄」(「読売新聞」初出:昭和9年《1934》9月21日〜翌年5月11)

 

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小村雪岱:挿絵、国枝完二「お傳地獄」(「読売新聞」初出:昭和9年《1934》9月21日〜翌年5月11)

 

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小村雪岱:挿絵、国枝完二「お傳地獄」(「読売新聞」初出:昭和9年《1934》9月21日〜翌年5月11)

 

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小村雪岱:挿絵、国枝完二「お傳地獄」(「読売新聞」初出:昭和9年《1934》9月21日〜翌年5月11)

 

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小村雪岱:挿絵、国枝完二「お傳地獄」(「読売新聞」初出:昭和9年《1934》9月21日〜翌年5月11)

 

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小村雪岱:挿絵、邦枝完二「男装のお伝」(『お伝地獄』新日本社、昭和9年9月21日〜10年5月11日、全181回)

 

【101冊の挿絵のある本(26)… 小村雪岱:挿絵『おせん』の挿絵を紹介します。】

【101冊の挿絵のある本(26)…  小村雪岱:挿絵、国枝完二『おせん』(三及社、昭和21年)の挿絵を紹介します。】

 この本には8点の挿絵が掲載されています。ここでは8点全てと、『芸術生活』(芸術生活社、昭和49年8月)に掲載されていた挿絵を追加して紹介します。これぞ、雪岱調と言われる画風が確立し、雪岱らしさが随所にうかがえます。

国枝完二『おせん』初出:『東京日日新聞』昭和8(1933)年9月〜12月連載。接待が挿絵を描き人気と評価を不動のものとした。

 昭和21年に発行されたため、本文は和紙を使っており、裏写りするなど印刷適性が悪く、挿絵があまりきれいに再現されていません。おまけに、戦争の影響で印刷技術者が不足していたようで、挿絵が矩形に切られず挿絵の一部が切れていたりと、書籍としてはかなり不完全なものですが、それも当時の時代の物証としての価値があると思っています。

 

小村雪岱『おせん』
 「小村雪岱とコンビを組んだ邦枝完二は、雪岱のさしえについて、自分の書いた戯曲を名人上手といわれる役者に上演してもらったときの心境だと語っている。
 雪岱が新聞小説の挿絵を手がけるのは、里見弴の『多情仏心』(大正12年、時々新報)からである。そのころはまだ資生堂に勤務していたため、十時ころ出社して夕刻までに締切りのさしえを一枚描き上げ、帰りにそれを新聞社にとどけるといった毎日だったらしい。ただし画風はその後の白と黒のみごとな線描とはことなり、コンテで描いた柔らかいタッチのものだったという。もっとも資生堂では、ビアズレーの画集を買い求め、すでにデザインの研究に力を入れていたそうだから、そのころから後年の雪岱長の画風が次第に形成されていったものと思われる。
 雪岱は明治二十年に川越で生まれた。本名は泰助。17歳のときに荒木寛畝の塾生となり、基礎を学んだ後、上の美校の日本画家に進み、下村観山に師事した。卒業後しばらく国華社につとめて古画の模写に従った。その後久保猪之吉の紹介で泉強化を知り、強化の著書の想定を手がけて一部の注目をひいた。資生堂には大正のなかばころからあ震災の年まで勤務し、意匠部でデザイナーとして、いわゆる資生堂スタイルの基礎を作った。
草森紳一は雪岱の絵の特色がそのデザイン性にあることを強調しているが、確かに資生堂での数年間は、雪岱のその後を方向づけたといってもよかろう。新聞さしえにつづいて、舞台装置にも進出し、多くの舞台を手がけた。
 鏑木清方は雪岱の絵がもつ情にふれ、人間の情だけでなく、しめやかに降る雨、千草にすだく虫の音、黒板塀や建仁寺垣にまで、なよやかな美の分身がこめられていると評したものだ。雪岱の描く美女は一見春信を思わせる。しかし春信にはない大胆な視角が感じられビアズレーや明治期の石版画をろ過した近代的処理がみられる。
 その画風が多くの人々に印象づけられるのは、邦枝完二の世話ものふうな作品のさしえを担当するようになってからだ。昭和七年に大毎、東日誌上仁連載された『江戸役者』を皮切りに、『おせん』『お傳地獄』『喧嘩鳶』などを手がけ、名コンビをうたわれた。江戸役者の芸妓お雪、「おせん』の笠森お仙、『お傳地獄』の高橋おでんなどは白眉である。」(「小村雪岱『おせん』、尾崎秀樹『挿絵50年』平凡社、1987年5月)より。

 

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小村雪岱:表紙装画、國枝完二『おせん』(三及社、昭和21年)

 

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小村雪岱:挿絵、國枝完二『おせん』(三及社、昭和21年)

 

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小村雪岱:挿絵、國枝完二『おせん』(三及社、昭和21年)

 

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小村雪岱:挿絵、國枝完二『おせん』(三及社、昭和21年)

 

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小村雪岱:挿絵、國枝完二『おせん』(三及社、昭和21年)

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小村雪岱:挿絵、國枝完二『おせん』(三及社、昭和21年)

 

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小村雪岱:挿絵、國枝完二『おせん』(三及社、昭和21年)

 

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小村雪岱:挿絵、國枝完二『おせん』(三及社、昭和21年)

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小村雪岱:挿絵、國枝完二『おせん』(三及社、昭和21年)

 

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小村雪岱:挿絵、國枝完二『おせん』(『芸術生活』、昭和49年8月

 

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小村雪岱:挿絵、國枝完二『おせん』

 

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小村雪岱:挿絵、國枝完二『おせん』(『芸術生活』、昭和49年8月)

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小村雪岱:挿絵、國枝完二『おせん』(『芸術生活』、昭和49年8月

 

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小村雪岱:挿絵、國枝完二『おせん』(『芸術生活』、昭和49年8月)

 

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小村雪岱:挿絵、國枝完二『おせん』(『芸術生活』、昭和49年8月)

 

【101冊の挿絵のある本(25)…小村雪岱:挿絵、吉川英治「カンカン蟲は唄ふ」の挿絵を紹介します。】

【101冊の挿絵のある本(25)… 小村雪岱:挿絵、吉川英治「カンカン蟲は唄ふ」(『吉川英治全集第3巻』平凡社昭和6年12月)の挿絵を紹介します。】

 この本には9点の挿絵が掲載されています。ここでは9点全てを紹介します。いわゆる、雪岱調と言われる画風がまだ確立していない時期の作品と思われますが、広い空間を取った数点は、雪岱らしさがうかがえる。

 吉川英治「カンカン蟲は唄ふ」の初出は、「週刊朝日」1930(昭和5)年10月号~1931(昭和6)年2月号

 

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小村雪岱:挿絵、吉川英治「カンカン蟲は唄ふ」(『吉川英治全集第3巻』平凡社昭和6年12月)

 

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小村雪岱:挿絵、吉川英治「カンカン蟲は唄ふ」(『吉川英治全集第3巻』平凡社昭和6年12月)

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小村雪岱:挿絵、吉川英治「カンカン蟲は唄ふ」(『吉川英治全集第3巻』平凡社昭和6年12月)

 

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小村雪岱:挿絵、吉川英治「カンカン蟲は唄ふ」(『吉川英治全集第3巻』平凡社昭和6年12月)

 

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小村雪岱:挿絵、吉川英治「カンカン蟲は唄ふ」(『吉川英治全集第3巻』平凡社昭和6年12月)

 

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小村雪岱:挿絵、吉川英治「カンカン蟲は唄ふ」(『吉川英治全集第3巻』平凡社昭和6年12月)

 

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小村雪岱:挿絵、吉川英治「カンカン蟲は唄ふ」(『吉川英治全集第3巻』平凡社昭和6年12月)

 

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小村雪岱:挿絵、吉川英治「カンカン蟲は唄ふ」(『吉川英治全集第3巻』平凡社昭和6年12月)

 

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小村雪岱:挿絵、吉川英治「カンカン蟲は唄ふ」(『吉川英治全集第3巻』平凡社昭和6年12月)